葛飾北斎は、世界的に評価されているにもかかわらず、詳しく知らない日本人が多いと思います。
浮世絵のことなどは、学校の授業でほとんど習いませんので当然ですね。
ですが、アメリカの雑誌『ライフ』の企画で、「この1000年で最も重要な功績を残した世界の人物100人」に選ばれたこともあるぐらいスゴイ人なんです。
なので、日本の文化を知るうえでも、北斎のついて学んでおいて損はないと思います。
それに、これから葛飾北斎の画を、目にする機会が増えると思います。
葛飾北斎ブームが来る?
- 2020年3月 北斎の『富嶽三十六景』の内、24図が新しいパスポートのデザインになります。(外務省HP)
- 2020年夏 映画『HOKUSAI』公開
- 2024年 北斎の『富嶽三十六景 神奈川沖浪裏』が新紙幣の千円札に採用。
私は北斎について何の知識もないまま、北斎展を見に行ったのですが、彼の作品に圧倒されました。
何より、北斎はすごく長生きしていて、作品数がとても多いのに驚きました。
外国の方も見に来ていたので、世界中の人々を魅了する力があるのだと思います。
皆さんにも、北斎のすごさを、ぜひ知ってもらいたいと思いますので、簡単な経歴や代表的な作品を紹介します。
葛飾北斎とは、どんな人?

北斎は、江戸時代後期の1760年~1849年に活躍し、化政文化を代表する浮世絵師です。
化政文化とは、江戸を中心として発展した町人文化のことをいいます。
貸本屋の丁稚(でっち)などを経て、1778年に浮世絵師の勝川春章(かつかわしゅんしょう)の門下となります。
1794年に勝川派を離れることになりますが、勝川派だけではなく、狩野派や中国絵画、西洋画などからも学びました。
絵が上達するためなら、国や流派など関係なく学ぶハングリー精神を持っていたようです。
現在でいう東京都墨田区で生まれ、90歳まで生きました。
江戸時代の平均寿命は、30歳~40歳程度といわれていますから、年老いても絵を上達させたいという思いが、彼を長生きさせたのかもしれません。
改号は30回
号はペンネームみたいなものですが、北斎は何回も変えています。
「北斎」の他に、「春朗」、「宗理」、「戴斗」、「為一」、「卍」など。
「北斎」という号さえ弟子に譲っていますので、こだわりはなかったのかもしれません。
現代で北斎を研究する人の立場だと、ややこしくなるので止めてほしいですよね。
引っ越しは93回
現代で定住しない人のことを『アドレスホッパー』と呼んだりもしますが、先がけて江戸時代にアドレスホッパーしていたのが北斎です。
部屋を掃除しないので、荒れたり汚れたりするたびに引っ越していたとか。
なので、引っ越しといっても、ほとんどは墨田区内だったらしいです。
それに、服装などは気にせず、お金の管理もしっかりしていなかったようです。
引っ越すより片付けた方が早いと思うのですが、この頃の引っ越し手続きは、現代より簡単だったのでしょうか?
娘の葛飾応為(かつしかおうい)も、浮世絵師
北斎の子孫で有名なのは、三女の葛飾応為です。
一度嫁ぎにいきましたが、離別して北斎と一緒に暮らすことになります。
応為も浮世絵師で美人画を得意とし、少数ですが作品を残しています。
そして、北斎作とされる作品の中には、応為作または共作があるようです
葛飾応為はアゴが出ていて不美人だったと言われていますが、現代では人気があるのかドラマや映画になっています。
NHKのドラマ『眩(くらら)〜北斎の娘〜』では、宮崎あおいさんが葛飾応為を演じ、アニメ映画『百日紅(さるすべり) 〜Miss HOKUSAI〜』では杏さんが声を担当しています。
北斎の影響を受けた者たち
日本の弟子達もそうですが、ヨーロッパの画家などにもジャポニスム(日本趣味)として、影響を与えています。
北斎などの浮世絵が印象派に影響を与え、影響を受けた印象派の絵が日本でも人気があるのは興味深いです。
- 印象派の画家たち ー ゴッホ、モネ、ゴーギャン、ドガなど
- アンリ・リヴィエール ー 『富嶽三十六景』の影響を受け、『エッフェル塔三十六景』を描いている。
- フランク・ロイド・ライト ー アメリカの建築家で、浮世絵を収集していた。ライトの建築「落水荘」は、北斎の『諸国滝廻り』の影響を受けている?
代表的な作品『富嶽三十六景』は、いつごろ描かれたの?

北斎は生涯たくさんの画を描いていて、3万点を超えるといわれています。
作品数が多い事で有名なピカソには勝てませんが、それでも十分すごいです。
北斎の代表的な作品といえば『富嶽三十六景(ふがくさんじゅうろっけい)』です。
まるで生き物のような波の絵と、赤く染められた富士山の絵などが有名ですね。
絵の名前は知らないけど、見たことはある人も多いと思います。
では、北斎がどのように画の道をたどったのか、若い時の作品から見ていこうと思います。
はたして、『富嶽三十六景』はいつ頃描かれたものでしょうか?
1778~1794年「春朗期」19~35歳頃
勝川春章の門下時代は、日本各地の名所とされる場所を描いた『名所絵』や、歌舞伎役者や歌舞伎を楽しむ人々などを描いた『役者絵』を手掛けました。

1795~1804年「宗理期」36~45歳頃
勝川派を離れ、狂歌絵本の挿絵なども手掛けています。
狂歌とは、五・七・五・七・七で構成された、コッケイな短歌のことです。

1805~1809年「葛飾北斎期」46~50歳頃
『東海道五十三次』といえば歌川広重が有名ですが、北斎も東海道五十三次を描いています。

1810~1819年「戴斗期」51~60歳頃
『北斎漫画』は、絵手本(絵の教本)として、初編は1814年に発行されました。
全15編あり、図数は4000図です。
人物、妖怪、風俗、動植物など様々なものが描かれていて、海外では「ホクサイ・スケッチ」として知られています。

1820~1833年「為一期」61~74歳頃
北斎の代表的な作品『富嶽三十六景』は、この頃に描かれたものです。
富嶽とは富士山の別名で、三十六景とありますが、人気のため10図追加されて46図あります。
つまり、『富嶽三十六景』とは、富士山のある風景を46図描いたものです。
「ベロ藍」と呼ばれるプルシャンブルーが多く使用されているのが印象的です。
『富嶽三十六景』の中で、波が描かれた『神奈川沖浪裏(かながわおきなみうら)』は有名で、『グレートウェーブ』として世界的に知られています。
波と富士山の色が似ていて気付きにくいですが、よく見ると後方に富士山が描かれています。
通称赤富士と呼ばれる、『凱風快晴 (がいふうかいせい)』も有名ですね。


北斎は、『百物語』を題材にした妖怪の絵も描いています。
百物語なので、百図あるのかと思いきや、現在確認されているのは5図のみです。
- お岩さん
- 皿屋敷
- 笑ひはんにや
- しうねん
- 小はだ小平二

全国の有名な滝を描いた『諸国滝廻り』は全8図。

1834~1849年「画狂老人卍期」75~90歳頃
この頃は、肉筆画を中心に描いてます。
小布施(長野県)に何度か旅し、滞在中にも肉筆画を残しています。

美術館へ北斎の作品を観に行こう!

特別展などで北斎展が開催される場合もありますが、北斎の作品が常に展示されている美術館もありますので紹介します。
すみだ北斎美術館
北斎の地元である墨田区に、2016年に開館した美術館。
- 住所 東京都墨田区亀沢2丁目7番2号
- 美術館のHP https://hokusai-museum.jp/
北斎館
晩年の北斎が4年間を過ごした信州小布施にある美術館。
- 住所 長野県上高井郡小布施町大字小布施485
- 美術館のHP https://hokusai-kan.com/
【まとめ】葛飾北斎は、まさに画狂老人
北斎は、まさに絵を描くことに人生を捧げた人だと思います。
代表作である『富嶽三十六景 』が70歳頃の作品であるように、年を重ねるに連れて画力が増しています。
それを証明するように、北斎は死ぬ間際にこのような言葉を残しています。
『天が私の命をあと5年保ってくれたら、私は本当の絵描きになることができるだろう』
北斎は、「70歳までに描いたものは本当に取るに足らぬものばかりである」とも言っていました。
北斎の作品はもちろん素晴らしいのですが、約70年も絵を描き続けていても、まだまだ絵がうまくなると思っていることがすごいです。
芸術に興味のある方は、ぜひ北斎の作品を見にいくことをオススメします。